郵政民営化前までは自民党を支えてきた全国郵便局長会(全特)が31日、東京都内で開いた集会に、民主党の小沢代表、菅直人代表代行、鳩山由紀夫幹事長の3人がそろい踏みした。冒頭にあいさつした小沢氏は「どんなに遅くても予算が通過した3月に解散、4月の総選挙は間違いない」などと総選挙での連携を訴え、全特の浦野修会長も応じる姿勢を示した。
総選挙へのテコ入れなどで全国を飛び回る小沢氏ら党三役が、党外の同じ集会にそろって参加するのは異例。郵政票への期待の強さからだ。民営化抜本見直しの議論のために開かれた集会には全国から約300人が出席。民主党以外の政治家の来賓は、民営化見直しを掲げる綿貫代表ら国民新党幹部だけで、自民党議員はいなかった。
集会で小沢氏は「今の内閣の体たらくでは、いつ政局があってもおかしくない。(麻生首相は)予算審議の最中ということで辛うじて政権を維持している」と指摘。3月解散・4月総選挙について「既定の事実として準備をしている」と語った。さらに小沢氏は「小泉構造改革の市場万能主義、競争主義の象徴が拙速な郵政民営化だ。民主党は次の選挙で国民新党と一致協力して戦う。政権を獲得できれば、ただちに(政府が保有する日本郵政の株式の)売却凍結法案を国会に提出し、見直しに着手する決意だ」と強調した。
郵政票をめぐっては、自民党を強力に支援した旧特定郵便局長OBの団体が、郵政民営化の是非が争点になった05年総選挙で国民新党を支持。その後、民主党は民営化見直しで国民新党と一致し、昨年7月の党首会談で、民主党が総選挙の公約に民営化見直しを明記し、国民新党が推薦する民主党候補を郵便局長の政治団体が支援することで合意した。
世界同時不況の大波が押し寄せている。政治の指導力が、今ほど必要とされている時はない。
衆院議員の任期は、今年9月10日で切れる。秋までには、確実に総選挙が行われる。
政策を迅速かつ強力に推進できる日本政治の枠組みを、どう構築していくのか。政党も、個々の政治家も、責任の重さを噛(か)みしめ、熟慮して行動すべき時である。
麻生首相は年頭の記者会見で、「急ぐべきは景気対策。予算と関連法案を早急に成立させることが重要で、それまで衆院解散を考えることはない」と強調した。
小沢民主党代表は「首相の意図を超え、『主権者の意思を問え』という声は大きくなる」と述べ、早期解散を要求している。
「松の内」の5日に召集された通常国会は、衆院解散含みの緊迫した国会になるだろう。
政府・与党が、これほど開会を急いだのは、急速な景気の悪化や雇用問題の深刻化に直面し、2008年度第2次補正予算案と09年度予算案を早期に成立させる必要に迫られているからだ。
麻生内閣は支持率が急落し、渡辺喜美元行政改革相が自民党離党の動きを見せている。この国会を切り抜けられるかどうかが、政権の命運を左右する。
与党は、定額給付金などを盛り込んだ第2次補正予算案と関連法案について、1月中旬に衆院を通過させる日程を描いている。
しかし、民主党は、定額給付金の関連部分を削除する修正案を衆院に提出する方針を決めた。参院でも徹底審議を求める構えで、早期成立の目算は立っていない。
定額給付金は、総額約2兆円もの巨費を投じながら、経済効果はあまり期待できない。
だが、民主党も、審議をいたずらに引き延ばせば、「生活が第一」という党の選挙スローガンと矛盾してしまうだろう。
国会審議が難航し、予算の成立が遅れると、景気の足をさらに引っ張る。与野党は、政局次元の争いを避け、予算の早期成立に向け協力すべきだ。
◆将来構想を競え◆
衆院選は、自民、民主の2大政党が、政権の座をかけてぶつかり合う選挙になる。
自民党は、政権を維持する余力が残っているのか。民主党は、責任を持って政権を担えるのか。これを、有権者から厳しく吟味されることになる。
同時に問われるのが、政権を取って何をなすか、である。一体、日本をどんな国にするのか。各党は、国造りの将来構想を具体的に提示しなければならない。
少子高齢化で人口減少が進む日本にあって、経済、社会の活力をどう維持していくか。安心できる年金、医療、介護などの社会保障制度をいかに再構築するか。
国際社会の安定に、日本はどんな役割を果たし、日本の安全をどう守っていくのか。
与党の定額給付金や民主党の子ども手当などのバラマキ的な政策を競い合うばかりでは、有権者の心をとらえることはできまい。
麻生首相が、政府の税制抜本改革の「中期プログラム」に、2011年度からの消費税率引き上げを明記したのは、政権政党としての責任感からだろう。
民主党は、最低保障年金の創設や農家への戸別所得補償など07年夏の参院選以来の公約を中心に、総選挙に臨む方針だ。
だが、これらの公約を実現するには、20・5兆円もの財源が必要だ。消費税率を引き上げず、行財政改革で本当に捻出(ねんしゅつ)できるのか。財源を明確に示すべきだ。
今国会で、各党は、活発に論戦を展開し、総選挙の争点を明確にしてもらいたい。
有権者は、衆参ねじれの下で迅速な意思決定ができない政治の現状に、いら立ちを強めている。
◆政界再編は不可避か◆
総選挙で自民、公明の与党が衆院の過半数を確保し、政権を維持しても、衆参のねじれは残る。
加えて、与党は衆院での再可決に必要な「3分の2以上」の議席を失うのは必至だ。となると、参院で野党が反対すれば、国としての意思決定ができない異常な事態に陥ってしまう。
民主党など野党が、総選挙で過半数を獲得すれば、ねじれは一応、解消する。
だが、民主党も単独で衆参の過半数を確保することは難しい。政策に違いがある社民党などの協力を得る必要に迫られる。
自民、民主のいずれが政権をとろうとも、国政を遅滞なく遂行する枠組みが必要だ。衆参両院で過半数を押さえるために、新たな組み合わせの連立政権や政界再編が避けられないのではないか。
女児の遺体は男の部屋の冷蔵庫に隠されており
Fri 23 Jan’09
中国広州市で、4歳の女児がバラバラ遺体となって発見される事件があり、警察は6日までに、30歳代で失業中の隣人の男を、殺人の疑いで拘束した。 警察は、男が女児の遺体を食べた疑いがあるとして調べている。女児宅の周辺ではほかにも、幼児の行方不明事件があり、地元メディアは、「連続食人事件」との見方を伝えている。
広州日報によると、女児の遺体は男の部屋の冷蔵庫に隠されており、2日、捜索中の警察官が発見したが、遺体の一部は見つからなかった。
台湾の総統府機密費の不正流用やマネーロンダリング(資金洗浄)など4事件で起訴された陳水扁・前総統の初公判が19日開かれた。この日は、台北市内のコンベンションセンター建設工事などをめぐる二つの収賄事件で罪状認否が行われ、陳氏は起訴事実を否認した。
起訴状によると、陳氏は夫人の呉淑珍氏らとともに、コンベンションセンター建設の入札で業者に便宜を図ったり、桃園県にある企業の所有地を政府機関に買収させたりして、見返りに1億台湾ドル(約2億7000万円)と約874万米ドル(約7億9000万円)を受け取った。
総統府機密費の横領をめぐる初公判は20日に開かれる。マネーロンダリングに関する初公判は21日から2月24日に延期された。
台湾の陳水扁前総統が収賄やマネーロンダリング(資金洗浄)防止法違反などの罪に問われた事件で、資金洗浄に加担した罪で起訴された前総統の長男、陳致中(29)夫妻の初公判が21日、台北地方法院(地裁)で開かれた。夫妻は罪状認否で罪を認め、社会に混乱を招いたとして「後悔している」と話し、謝罪した。陳前総統は海外に送金した金は政治献金と主張して犯罪性を否認しているが、長男夫妻は違法な資金洗浄だったと認めた形となり、前総統の今後の裁判に影響を与えそうだ。
広州日報によると、女児の遺体は男の部屋の冷蔵庫に隠されており、2日、捜索中の警察官が発見したが、遺体の一部は見つからなかった。
台湾の総統府機密費の不正流用やマネーロンダリング(資金洗浄)など4事件で起訴された陳水扁・前総統の初公判が19日開かれた。この日は、台北市内のコンベンションセンター建設工事などをめぐる二つの収賄事件で罪状認否が行われ、陳氏は起訴事実を否認した。
起訴状によると、陳氏は夫人の呉淑珍氏らとともに、コンベンションセンター建設の入札で業者に便宜を図ったり、桃園県にある企業の所有地を政府機関に買収させたりして、見返りに1億台湾ドル(約2億7000万円)と約874万米ドル(約7億9000万円)を受け取った。
総統府機密費の横領をめぐる初公判は20日に開かれる。マネーロンダリングに関する初公判は21日から2月24日に延期された。
台湾の陳水扁前総統が収賄やマネーロンダリング(資金洗浄)防止法違反などの罪に問われた事件で、資金洗浄に加担した罪で起訴された前総統の長男、陳致中(29)夫妻の初公判が21日、台北地方法院(地裁)で開かれた。夫妻は罪状認否で罪を認め、社会に混乱を招いたとして「後悔している」と話し、謝罪した。陳前総統は海外に送金した金は政治献金と主張して犯罪性を否認しているが、長男夫妻は違法な資金洗浄だったと認めた形となり、前総統の今後の裁判に影響を与えそうだ。
— posted by サイト管理者 at 05:53 pm
年越し派遣村
Sat 10 Jan’09
「年越し派遣村」の実行委員会の要請を受け、厚生労働省は入村者の宿所施設を確保し、就労や生活支援などに責任を持つ態勢を取った。民間団体による6日間の行動が国を動かした。極めて異例のことだ。背景として、予想以上の数の失業者が年末年始に厚労省の目の前の日比谷公園に詰めかけたという「アピール力」もさることながら、1680人ものボランティアに象徴される支援の広がりも見逃せない。
公園のテントへの受け入れが限界に達した時、実行委員会は派遣労働の規制緩和を重ねてきた労働政策の失敗を突き、「今回の雇用危機は人災だ」と訴えた。実行委との折衝で厚労省は「失業者を元(野宿)に戻すようなことはしない」と明言した。ぎりぎりで命をつなぐ人たちの面倒を最後まで見るという意味だ。国は全国で支援を行い、同時に新たな雇い止めや解雇の防止に全力を注ぐべきだ。「日本がこのままで良いはずがない」との危機意識は、派遣村に集った人たちだけのものではないからだ
東京・日比谷公園の「年越し派遣村」で年末年始を過ごした約500人のうち286人が5日、「閉村」に伴い、東京都や中央区が用意した施設に移った。1週間、都が食事を提供し、東京労働局は関東圏を中心に約3千人分の寮付きの就職先を紹介する。
千代田区役所では、派遣村にいた75人が生活保護を申請し、医療機関で診療を受ける必要がある人など10人には即日支給された。ほかの申請者は後日、再び面接を受ける。同区は通常より早い1週間程度で結果を出すという。
申請した男性(56)は千葉県の建設会社に派遣されていたが、「仕事がない」と告げられ、昨年暮れに寮を出て、路上生活をしていたという。「住まいがほしい。今は次の仕事のメドも立たず、不安でいっぱいだ」と言った。
中央区が用意した小学校跡の一つに5日夕、約80人がバスで到着した。大きな荷物を両手に、毛布やストーブが用意された体育館に入った。昨年末から派遣村にいたという男性(46)の所持金は65円。「寝る場所ができて助かった。仕事を見つけ、今年こそ普通の年にしたい」と話した。
各施設には、健康や就労に関する相談員が常駐する。施設の提供は12日までで、都は「自助努力が大前提で、今回は人道的観点からの措置。期限までに仕事と居場所を見つけてほしい」としている。
厚生労働省の調べだけでも、3月までに職を失う非正社員数は8万5千人を上回る見込み。村長を務めた湯浅誠・NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長は「職と住居を失った人々が緊急的に保護され、生活について総合的に相談できる窓口がある施設を国の責任で作っていく必要がある」と訴えた。
公園のテントへの受け入れが限界に達した時、実行委員会は派遣労働の規制緩和を重ねてきた労働政策の失敗を突き、「今回の雇用危機は人災だ」と訴えた。実行委との折衝で厚労省は「失業者を元(野宿)に戻すようなことはしない」と明言した。ぎりぎりで命をつなぐ人たちの面倒を最後まで見るという意味だ。国は全国で支援を行い、同時に新たな雇い止めや解雇の防止に全力を注ぐべきだ。「日本がこのままで良いはずがない」との危機意識は、派遣村に集った人たちだけのものではないからだ
東京・日比谷公園の「年越し派遣村」で年末年始を過ごした約500人のうち286人が5日、「閉村」に伴い、東京都や中央区が用意した施設に移った。1週間、都が食事を提供し、東京労働局は関東圏を中心に約3千人分の寮付きの就職先を紹介する。
千代田区役所では、派遣村にいた75人が生活保護を申請し、医療機関で診療を受ける必要がある人など10人には即日支給された。ほかの申請者は後日、再び面接を受ける。同区は通常より早い1週間程度で結果を出すという。
申請した男性(56)は千葉県の建設会社に派遣されていたが、「仕事がない」と告げられ、昨年暮れに寮を出て、路上生活をしていたという。「住まいがほしい。今は次の仕事のメドも立たず、不安でいっぱいだ」と言った。
中央区が用意した小学校跡の一つに5日夕、約80人がバスで到着した。大きな荷物を両手に、毛布やストーブが用意された体育館に入った。昨年末から派遣村にいたという男性(46)の所持金は65円。「寝る場所ができて助かった。仕事を見つけ、今年こそ普通の年にしたい」と話した。
各施設には、健康や就労に関する相談員が常駐する。施設の提供は12日までで、都は「自助努力が大前提で、今回は人道的観点からの措置。期限までに仕事と居場所を見つけてほしい」としている。
厚生労働省の調べだけでも、3月までに職を失う非正社員数は8万5千人を上回る見込み。村長を務めた湯浅誠・NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長は「職と住居を失った人々が緊急的に保護され、生活について総合的に相談できる窓口がある施設を国の責任で作っていく必要がある」と訴えた。
— posted by サイト管理者 at 04:19 pm
清正の熊本での事業
Mon 29 Dec’08
[編集] 関ヶ原の戦いから江戸時代
名古屋市中村区中村町字木下屋敷の妙行寺内にある加藤清正像慶長3年(1598年)に秀吉が死去すると、五大老の徳川家康に接近し、家康の養女を継室として娶った。
そして慶長4年(1599年)3月に前田利家が死去すると、福島正則や浅野幸長ら6将と共に三成暗殺未遂事件を起こした。しかし事前に桃山の石田屋敷に逃げ込まれ、暗殺は失敗する。
慶長5年(1600年)に三成が家康に対して挙兵した関ヶ原の戦いでは九州に留まり、黒田如水と共に家康ら東軍に協力して行長の宇土城、立花宗茂の柳川城などを開城、調略し、九州の西軍勢力を次々と破った。戦後の論功行賞で、肥後の行長旧領を与えられ52万石の大名となる。なお、行長が居城とした宇土城は慶長17年(1612年)に破却されている。
慶長10年(1605年)、従五位上、侍従・肥後守に叙任される。慶長15年(1610年)、徳川氏による尾張・名古屋城の普請に協力した。慶長16年(1611年)3月には二条城における家康と豊臣秀頼との会見を取り持つなど和解を斡旋したが、帰国途中の船内で発病し、6月24日に熊本で死去した。享年50(満49歳没)。
墓所は熊本市花園の発星山本妙寺の浄池廟、また山形県鶴岡市丸岡の金峰山天澤寺。さらに東京都港区白金台の最正山覚林寺(清正公)に位牌。なおまた、東京都大田区の長栄山大国院本門寺(池上本門寺)に供養塔。奉斎神社は熊本市本丸鎮座の加藤神社。
清正の死後、家督は子の忠広が継いだが、寛永9年(1632年)、忠広は幕府の命により改易になった。理由は諸説あるが、加藤家が豊臣氏恩顧の最有力大名だったためと警戒されたとも言われている。
[編集] 人物
清正の重臣・大木舎人が写生し、文久年間にさらに模写されたという肖像清正は一般に智勇兼備の名将として知られているが、同時に藤堂高虎と並ぶ築城の名手としても知られ熊本城や名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城など数々の城の築城に携わった。また飯田覚兵衛、大木土佐らと穴太衆を用いて領内の治水事業にも意欲的に取り組んだ。この結果、熊本県内には現在も清正による遺構が多く存在する。その土木技術は非常に優れており400年後の現在も実用として使われている遺構も少なくない。このとき清正は莫大な人手をまかなうため男女の別なく動員したが、給金を払い必要以上の労役を課すことなく、事業の多くを農閑期に行う事によって農事に割く時間を確保したという。
清正は熱心な日蓮宗の信徒でもあり、領内に本妙寺をはじめとする日蓮宗の寺を数多く創設した。そのほか、いわゆる「三振法(清正当時の呼称ではない)」を取り入れたことで知られる。これは武士のみが対象であったが、軽微な罪や式典で粗相を3回起こすと切腹を申し付けられるものであった。
武将としては福島正則とともに豊臣氏配下の最有力の武将の一人で、正則とは親しかったとされる。石田三成とは豊臣政権下で文治派、武断派が形成されるにつれて関係が悪化し、小西行長とは朝鮮出兵の際に先鋒をめぐって争ったことや互いの領地が隣り合わせであったため常に境界線をめぐって争ったとも言われている。
体格は非常に大きく、6尺3寸(約191cm)の大男だったと言われている。だが実は5尺3寸(約161cm)にも満たない身長であったが、かぶる兜を長くして全体像を高く見せる事によって相手に威圧感を与えようとしていたという説もある。
熊本県(旧熊本藩)においては、「清正公(せいしょこ)さん」として現在も種々の史跡や祭りなどにも取りあげられている。
[編集] 清正の熊本での事業
清正が肥後を治めていたのは、天正15年(1587年)から慶長16年(1611年)の期間だが、朝鮮出兵等もあって実際に熊本に腰を据えていた期間は実質延べ15年程である。清正は「清正公(せいしょこ)さん」として慕われ、後に熊本藩を治めた細川氏が当時の清正人気に遠慮する程であったという。
清正以前の熊本藩は有力大名が現われず国人が割拠する時代が続き、佐々成政でさえも収拾できず荒廃していた。そんな中、清正は得意とする治水等の土木技術による生産量の増強を推し進めた。これらは主に農閑期に進められている。
「隈本(隅本とも)」という地名を「熊本」と改名した人は清正である。
「白川・坪井川大改修」以前は白川と坪井川は現在の熊本市役所付近で合流していたが、石塘を造り現在の流路に変更。
熊本4大河川改修。菊池川の付替、緑川の鵜の瀬堰、球磨川の遥拝堰、白川に於ける各種改修等。
熊本平野・八代平野の干拓と堤防の整備。
白川水系の主に熊本平野への灌漑事業に於ける、非常に実験的な用水技術(馬場楠井手等)。
なお、現在の堀川は加藤忠広が着工し、細川忠利で完了。白川と坪井川を結ぶ農業用水路である。
[編集] 清正の忠義
慶長16年(1611年)、豊臣秀頼が二条城で徳川家康と会見したとき、清正は浅野幸長と共に一命をかけて秀頼を守護するため、密かに懐中に短刀を忍ばせていたという。秀頼が暗殺されそうになれば、家康と刺し違えるつもりだったといわれている[2]。
作業中です。
名古屋市中村区中村町字木下屋敷の妙行寺内にある加藤清正像慶長3年(1598年)に秀吉が死去すると、五大老の徳川家康に接近し、家康の養女を継室として娶った。
そして慶長4年(1599年)3月に前田利家が死去すると、福島正則や浅野幸長ら6将と共に三成暗殺未遂事件を起こした。しかし事前に桃山の石田屋敷に逃げ込まれ、暗殺は失敗する。
慶長5年(1600年)に三成が家康に対して挙兵した関ヶ原の戦いでは九州に留まり、黒田如水と共に家康ら東軍に協力して行長の宇土城、立花宗茂の柳川城などを開城、調略し、九州の西軍勢力を次々と破った。戦後の論功行賞で、肥後の行長旧領を与えられ52万石の大名となる。なお、行長が居城とした宇土城は慶長17年(1612年)に破却されている。
慶長10年(1605年)、従五位上、侍従・肥後守に叙任される。慶長15年(1610年)、徳川氏による尾張・名古屋城の普請に協力した。慶長16年(1611年)3月には二条城における家康と豊臣秀頼との会見を取り持つなど和解を斡旋したが、帰国途中の船内で発病し、6月24日に熊本で死去した。享年50(満49歳没)。
墓所は熊本市花園の発星山本妙寺の浄池廟、また山形県鶴岡市丸岡の金峰山天澤寺。さらに東京都港区白金台の最正山覚林寺(清正公)に位牌。なおまた、東京都大田区の長栄山大国院本門寺(池上本門寺)に供養塔。奉斎神社は熊本市本丸鎮座の加藤神社。
清正の死後、家督は子の忠広が継いだが、寛永9年(1632年)、忠広は幕府の命により改易になった。理由は諸説あるが、加藤家が豊臣氏恩顧の最有力大名だったためと警戒されたとも言われている。
[編集] 人物
清正の重臣・大木舎人が写生し、文久年間にさらに模写されたという肖像清正は一般に智勇兼備の名将として知られているが、同時に藤堂高虎と並ぶ築城の名手としても知られ熊本城や名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城など数々の城の築城に携わった。また飯田覚兵衛、大木土佐らと穴太衆を用いて領内の治水事業にも意欲的に取り組んだ。この結果、熊本県内には現在も清正による遺構が多く存在する。その土木技術は非常に優れており400年後の現在も実用として使われている遺構も少なくない。このとき清正は莫大な人手をまかなうため男女の別なく動員したが、給金を払い必要以上の労役を課すことなく、事業の多くを農閑期に行う事によって農事に割く時間を確保したという。
清正は熱心な日蓮宗の信徒でもあり、領内に本妙寺をはじめとする日蓮宗の寺を数多く創設した。そのほか、いわゆる「三振法(清正当時の呼称ではない)」を取り入れたことで知られる。これは武士のみが対象であったが、軽微な罪や式典で粗相を3回起こすと切腹を申し付けられるものであった。
武将としては福島正則とともに豊臣氏配下の最有力の武将の一人で、正則とは親しかったとされる。石田三成とは豊臣政権下で文治派、武断派が形成されるにつれて関係が悪化し、小西行長とは朝鮮出兵の際に先鋒をめぐって争ったことや互いの領地が隣り合わせであったため常に境界線をめぐって争ったとも言われている。
体格は非常に大きく、6尺3寸(約191cm)の大男だったと言われている。だが実は5尺3寸(約161cm)にも満たない身長であったが、かぶる兜を長くして全体像を高く見せる事によって相手に威圧感を与えようとしていたという説もある。
熊本県(旧熊本藩)においては、「清正公(せいしょこ)さん」として現在も種々の史跡や祭りなどにも取りあげられている。
[編集] 清正の熊本での事業
清正が肥後を治めていたのは、天正15年(1587年)から慶長16年(1611年)の期間だが、朝鮮出兵等もあって実際に熊本に腰を据えていた期間は実質延べ15年程である。清正は「清正公(せいしょこ)さん」として慕われ、後に熊本藩を治めた細川氏が当時の清正人気に遠慮する程であったという。
清正以前の熊本藩は有力大名が現われず国人が割拠する時代が続き、佐々成政でさえも収拾できず荒廃していた。そんな中、清正は得意とする治水等の土木技術による生産量の増強を推し進めた。これらは主に農閑期に進められている。
「隈本(隅本とも)」という地名を「熊本」と改名した人は清正である。
「白川・坪井川大改修」以前は白川と坪井川は現在の熊本市役所付近で合流していたが、石塘を造り現在の流路に変更。
熊本4大河川改修。菊池川の付替、緑川の鵜の瀬堰、球磨川の遥拝堰、白川に於ける各種改修等。
熊本平野・八代平野の干拓と堤防の整備。
白川水系の主に熊本平野への灌漑事業に於ける、非常に実験的な用水技術(馬場楠井手等)。
なお、現在の堀川は加藤忠広が着工し、細川忠利で完了。白川と坪井川を結ぶ農業用水路である。
[編集] 清正の忠義
慶長16年(1611年)、豊臣秀頼が二条城で徳川家康と会見したとき、清正は浅野幸長と共に一命をかけて秀頼を守護するため、密かに懐中に短刀を忍ばせていたという。秀頼が暗殺されそうになれば、家康と刺し違えるつもりだったといわれている[2]。
作業中です。
— posted by サイト管理者 at 11:59 am
検討・提案段階の科学衛星
Sat 13 Dec’08
[編集] 打ち上げ衛星
衛星名 命名前 用途 打上ロケット 打上日 備考
ひまわり6号 MTSAT-1R 運輸多目的衛星 H-IIAロケット7号機 2005年2月26日 RSCサービス
すざく ASTRO-EII X線天文衛星 M-Vロケット6号機 2005年7月10日 ISAS(宇宙科学研究本部)
きらり OICETS 光衛星間通信実験衛星 ドニエプルロケット 2005年8月24日
れいめい INDEX 小型科学衛星 ISAS ピギーバック衛星
だいち ALOS 陸域観測技術衛星 H-IIAロケット8号機 2006年1月24日
ひまわり7号 MTSAT-2 運輸多目的衛星 H-IIAロケット9号機 2006年2月18日 RSCサービス
初の1ヶ月以内連続打上げ
あかり ASTRO-F 赤外線天文衛星 M-Vロケット8号機 2006年2月22日 ISAS
K2 情報収集衛星光学2号機 H-IIAロケット10号機 2006年9月11日 発足直後のH-IIA6号機打ち上げで
軌道投入に失敗した衛星の代替機
ひので SOLAR-B 太陽観測衛星 M-Vロケット7号機 2006年9月23日 ISAS
LDREX-2 大型展開アンテナ
小型・部分モデル2 アリアンVロケット
(ESA) 2006年10月14日 ETS-VIIIの大型展開アンテナ (LDR) 試験用
きく8号 ETS-VIII 技術試験衛星VIII型 H-IIAロケット11号機 2006年12月18日 初のH2A204型での打ち上げ。
衛星も5.8トンと過去最も重い。
R2
K3 情報収集衛星レーダー2号機
および 光学3号実証機 H-IIAロケット12号機 2007年2月24日
かぐや SELENE 月周回衛星 H-IIAロケット13号機 2007年9月14日
きずな WINDS 超高速インターネット衛星 H-IIAロケット14号機 2008年2月23日
ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船内保管室 ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船内保管室 スペースシャトルエンデバー号 2008年3月11日 土井隆雄宇宙飛行士が搭乗し組み立てミッション(1J/A)を行う。STS-123
ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船内実験室とロボットアーム ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船内実験室とロボットアーム スペースシャトルディスカバリー号 2008年6月1日 星出彰彦宇宙飛行士が搭乗し組み立てミッション(1J)を行う。STS-124
[編集] 打ち上げ予定
赤外線天文衛星「あかり(ASTRO-F)」打ち上げが予定されているロケットと衛星・探査機。状況に合わせて順番などは変更されることがある。
2008年(平成20年)度
H-IIAロケット:温室効果ガス観測技術衛星いぶき (GOSAT)
スペースシャトル:ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船外実験プラットフォームと船外パレット
2009年(平成21年)度
H-IIBロケット試験機 + 宇宙ステーション補給機 (HTV) 初号機
H-IIAロケット:準天頂衛星システム計画 (QZSS) 準天頂測位衛星初号機 (QZS-1)
2010年(平成21年)度以降
2010年(平成22年)度 H-IIAロケット:ISAS PLANET計画 金星探査機 (PLANET-C)
2011年(平成23年)度 GXロケット:LNG系飛行実証
2011年(平成23年)度 次期固体ロケット:試験機
2011年(平成23年)度 H-IIAロケット: 地球環境変動観測ミッション (GCOM) 水循環変動観測衛星 (GCOM-W) ※全6機予定[1]
2012年(平成24年)初め 次期固体ロケット:惑星宇宙望遠鏡TOPS
2012年(平成24年)度 VSOP-2計画 電波天文衛星 (ASTRO-G)
2013年(平成25年)度 全球降水観測計画(GPM) GPM主衛星(二周波降水レーダー(DPR)搭載)
2013年(平成25年)度 ソユーズロケット:BepiColombo計画 水星磁気圏探査機 (MMO)
2013年(平成25年) ドニエプル:雲・エアロゾル放射ミッション(EarthCARE)(雲プロファイリングレーダ(CPR)搭載)
[編集] 検討・提案段階の探査計画
セレーネ2計画:月着陸、サンプルリターン計画
はやぶさMK.2計画、マルコ・ポーロ計画:小惑星からのサンプルリターン、ヨーロッパ宇宙機関と共同研究中
有人月面拠点システム:将来の国際月有人研究拠点構築に向けた、日本の参加形態のありようなどの検討を実施。
[編集] 「JAXAビジョン2025」に盛り込まれた将来計画
火星探査計画: 火星探査への再挑戦計画。
木星探査計画:長期深惑星探査における国際共同研究テーマ。国際会議などで議論中。
[編集] 検討・提案段階の科学衛星
太陽光帆技術実証機 Ikaros:太陽光圧を推進力として使う航法技術の実験。
X線天文衛星 NeXT (ASTRO-H):「すざく」での経験をふまえて、X線・ガンマー線の精密観測を行う。(2013年度打ち上げ目標)
赤外望遠鏡衛星 SPICA: 光学式天体望遠鏡を軌道上に展開して。
宇宙観測を行う。
衛星名 命名前 用途 打上ロケット 打上日 備考
ひまわり6号 MTSAT-1R 運輸多目的衛星 H-IIAロケット7号機 2005年2月26日 RSCサービス
すざく ASTRO-EII X線天文衛星 M-Vロケット6号機 2005年7月10日 ISAS(宇宙科学研究本部)
きらり OICETS 光衛星間通信実験衛星 ドニエプルロケット 2005年8月24日
れいめい INDEX 小型科学衛星 ISAS ピギーバック衛星
だいち ALOS 陸域観測技術衛星 H-IIAロケット8号機 2006年1月24日
ひまわり7号 MTSAT-2 運輸多目的衛星 H-IIAロケット9号機 2006年2月18日 RSCサービス
初の1ヶ月以内連続打上げ
あかり ASTRO-F 赤外線天文衛星 M-Vロケット8号機 2006年2月22日 ISAS
K2 情報収集衛星光学2号機 H-IIAロケット10号機 2006年9月11日 発足直後のH-IIA6号機打ち上げで
軌道投入に失敗した衛星の代替機
ひので SOLAR-B 太陽観測衛星 M-Vロケット7号機 2006年9月23日 ISAS
LDREX-2 大型展開アンテナ
小型・部分モデル2 アリアンVロケット
(ESA) 2006年10月14日 ETS-VIIIの大型展開アンテナ (LDR) 試験用
きく8号 ETS-VIII 技術試験衛星VIII型 H-IIAロケット11号機 2006年12月18日 初のH2A204型での打ち上げ。
衛星も5.8トンと過去最も重い。
R2
K3 情報収集衛星レーダー2号機
および 光学3号実証機 H-IIAロケット12号機 2007年2月24日
かぐや SELENE 月周回衛星 H-IIAロケット13号機 2007年9月14日
きずな WINDS 超高速インターネット衛星 H-IIAロケット14号機 2008年2月23日
ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船内保管室 ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船内保管室 スペースシャトルエンデバー号 2008年3月11日 土井隆雄宇宙飛行士が搭乗し組み立てミッション(1J/A)を行う。STS-123
ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船内実験室とロボットアーム ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船内実験室とロボットアーム スペースシャトルディスカバリー号 2008年6月1日 星出彰彦宇宙飛行士が搭乗し組み立てミッション(1J)を行う。STS-124
[編集] 打ち上げ予定
赤外線天文衛星「あかり(ASTRO-F)」打ち上げが予定されているロケットと衛星・探査機。状況に合わせて順番などは変更されることがある。
2008年(平成20年)度
H-IIAロケット:温室効果ガス観測技術衛星いぶき (GOSAT)
スペースシャトル:ISS日本実験棟「きぼう」 (JEM) の船外実験プラットフォームと船外パレット
2009年(平成21年)度
H-IIBロケット試験機 + 宇宙ステーション補給機 (HTV) 初号機
H-IIAロケット:準天頂衛星システム計画 (QZSS) 準天頂測位衛星初号機 (QZS-1)
2010年(平成21年)度以降
2010年(平成22年)度 H-IIAロケット:ISAS PLANET計画 金星探査機 (PLANET-C)
2011年(平成23年)度 GXロケット:LNG系飛行実証
2011年(平成23年)度 次期固体ロケット:試験機
2011年(平成23年)度 H-IIAロケット: 地球環境変動観測ミッション (GCOM) 水循環変動観測衛星 (GCOM-W) ※全6機予定[1]
2012年(平成24年)初め 次期固体ロケット:惑星宇宙望遠鏡TOPS
2012年(平成24年)度 VSOP-2計画 電波天文衛星 (ASTRO-G)
2013年(平成25年)度 全球降水観測計画(GPM) GPM主衛星(二周波降水レーダー(DPR)搭載)
2013年(平成25年)度 ソユーズロケット:BepiColombo計画 水星磁気圏探査機 (MMO)
2013年(平成25年) ドニエプル:雲・エアロゾル放射ミッション(EarthCARE)(雲プロファイリングレーダ(CPR)搭載)
[編集] 検討・提案段階の探査計画
セレーネ2計画:月着陸、サンプルリターン計画
はやぶさMK.2計画、マルコ・ポーロ計画:小惑星からのサンプルリターン、ヨーロッパ宇宙機関と共同研究中
有人月面拠点システム:将来の国際月有人研究拠点構築に向けた、日本の参加形態のありようなどの検討を実施。
[編集] 「JAXAビジョン2025」に盛り込まれた将来計画
火星探査計画: 火星探査への再挑戦計画。
木星探査計画:長期深惑星探査における国際共同研究テーマ。国際会議などで議論中。
[編集] 検討・提案段階の科学衛星
太陽光帆技術実証機 Ikaros:太陽光圧を推進力として使う航法技術の実験。
X線天文衛星 NeXT (ASTRO-H):「すざく」での経験をふまえて、X線・ガンマー線の精密観測を行う。(2013年度打ち上げ目標)
赤外望遠鏡衛星 SPICA: 光学式天体望遠鏡を軌道上に展開して。
宇宙観測を行う。
— posted by サイト管理者 at 12:31 pm














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